プレスラボ

2016
このエントリーをはてなブックマークに追加
梅田カズヒコ

梅田 カズヒコ

年賀状辞めてみました

あけましておめでとうございます。プレスラボ梅田です。
旧年中は大変お世話になりました。

今年から年賀状を廃止しまして、ひっそりと年賀コンテンツに移行しました。WEB系の会社ですが、実は去年まで毎年関係者に年賀状を配送しておりまして。私は個人的には、毎年お世話になったお客さまに、一人ずつメッセージを書く年賀状のシステムがわりと気に入ってました。

ですが、人間同じことを繰り返していても進歩はないので。たまには冒険しないといけませんね。といいつつ、来年また紙に戻っていたらすみません。

ここから個人的な抱負を綴るので、一人称を僕に変えます。

僕には夢があります。それは、一生に一度だけ、世界を揺るがすような名作を作ってみたいという夢です。任天堂のマリオのように、村上春樹の小説のように、世界中で愛されるようなそんなものを、一作でいいからこの僕が生み出してみたいです。

2016年のうちに、その一作ができることはないでしょう。でも、その目標に向けて、少しずつ近づいていきたいです。そのために僕はいろいろと画策しています。でも、夢の大きさに比べて、今の僕がそのためにがんばっていることは地味なことです。たとえば、世界中で愛されるテキストを書くためには、英語をもう少し理解しなくてはならないでしょう。日本語はとても素敵な言葉で、一生、日本語で書き続けたいですが、世界の優れた作品は必ず英語をベースとして広まるので、英語圏の感覚を学ぶ必要があると思います。体力も少し落ちてきているのでちょっと鍛えてみることも必要かもしれません。いま以上に心の余裕も必要な気がします。そういう、わざわざ話すまでもない地味な試みが今年も続いていきます。

自分に子どもはいませんが、去年は社内で子どもを授かった人が多い一年でした。私は、将来生まれてくるかもしれない自分の子どもに、誇れる存在になれているでしょうか。大人の基準で物事を判断しすぎていないでしょうか。私は素敵な父親になれるかどうか、自信はないですが、一生をかけて取り組むことになりそうな作品は、きっと将来の子どもたちに届くものであってほしい。そう強く思っています。

小川たまか

小川 たまか

ラーメンと私

2015年に気付いたことがひとつあります。それは「今の現実が実はすべて夢で、目が覚めたら実はまだ2005年だったらどうしよう」ということです。

2005年の私は25歳でした。若かったんですが、若さしかありませんでした。大学院を出てフリーライターという名刺を作ったものの、人脈もなく仕事もなく、自信もなく、夢もなく。1年目の年収は100万円ちょっとで、それでも「身の丈にあった金額だ」と思いながら、実家を出て一人暮らしを始めたばかりのワンルームで1文字1円の原稿を書いていました。当時は年を取ることが怖く、「このまま30歳になってしまったらどうしよう」ということばかり考えていました。

あれから10years、たぶん私は少しずつ前進していたんだと思います。代表の梅田と毎日けんかをし、半年に1回は「もう会社辞める」とか言い、社員に怒ったり謝ったりして迷惑をかけ続け。でも気付いたら、登ってきた山は意外に高かったらしい。2015年に2005年を振り返ってみて初めてそう思いました。

目が覚めたらあのワンルームだったら。そう思うと今の現実のありがたさにホッとします。これまでの10年間は振り返る余裕もなかったのかもしれません。今の若い人たち、ほとんどの人が当時の私よりも優秀で前向きで、特にアドバイスすることなどないのですが、もし今の状況が不安で将来が見えない人がいるのであれば、知らないうちに人生が好転していることってあるよと言いたいです。人生の道のり、始めは徒歩だったのがいつの間にか自転車になって、ギアもついて、前よりもずっと楽になっているんだけど、そのことに案外気付いていないだけかもしれない。

2016年の抱負は、ラーメン断ちをすることです。これまで不安を埋めるようにラーメンを食べ続けてきましたが、35歳の私にはもう必要ないのではないかと思います。長くなりましたが、要はダイエットです。

山本莉会

山本 莉会

大きな壁にぶつかっています

あけましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。

育休中の山本です。

ご報告が遅くなりましたが、昨年5月に無事男の子を出産しました。

そして、私いまめちゃくちゃ太ってます。

妊娠中に15キロほど太ったのですが、NAVERまとめで『ユッキーナもミキティも妊娠中に15キロ太った』 という記載を見て、「ほな、私も大丈夫やわ」と思っていました。

今となっては、なぜ自分がユッキーナやミキティと同じだと思い込んでいたのか不思議でたまらないのですが、皆さんがご存知のころより10キロ近く太っています。

とりいそぎ、私の目標は「産休明け、皆さんに『山本さんが戻ってきた』と認識してもらえるくらいに痩せること」 です。

最近、Facebookでこんな表示がでます。

※若く見られたいので、普段からFacebookでは25歳ごろの写真を使っています。

今の姿を伝えられる勇気がほしいです。

田中結

田中 結

後輩にお年玉をあげたがる女

お正月は親戚の子どもや後輩に、どんどんお年玉をあげられるくらい稼ぎのある人になりたいです。

私は普段から年下や後輩には積極的におごりたいほうです。そう言うと、よく目上の方々に苦言を呈されます。私が貧乏だからです。貧乏なのにおごってる場合じゃないだろと。「無駄におごるのはやめたほうがいいよ」と言われてイラッとしました。無駄ってなんだよ?と思いました。新年から怒りの投稿になりますがお許しください。

私はなぜ人におごりたいのか。建前としては、「先輩におごってもらったから、今度は私が後輩におごる番」とか「先輩として当然だから」みたいな話になるんですが。

真相は、人柄や話術よりも手っ取り早い金の力で評価を得たいから、後輩から好かれたいから、いい人だと思われたいから、ということだと思います。実際にそういう気持ちがあります。でもそれだけではないつもりでいます。

単純に、先輩とごはん食べに行って、自分の分までおごってくれたらうれしいですよね。先輩に好かれていると思って安心します。「いつも仕事で迷惑かけてるな〜と思っても、嫌われてるわけじゃない、がんばろう!」と思える。

「おごってくれる先輩がいる」っていう状況を生むためには、先輩である私が行動を起こさないとはじまらない。だからすぐにおごります。

お金がもったいないとも思いません。私の3000円が、自分一人で買い食いして使っちゃった3000円になるよりも、後輩におごった3000円になるほうが世の中の価値が高いと思うからです。自分の金でいくら高いごはん食べても「人からおごられる」ってことにはならなくて、他人のお金が動くから「おごり」になります。下準備もいらず、その場でお金を出すだけで、お金では買えない価値あるものが生まれるなら、出さない理由がない。

なので、「自分の評価を得るためにおごってる」と思われると、イラッとするんです。そんな小さな視点じゃなくて、全体を考えたうえでの判断なんだけどなあ。

とはいえ、そんなのは十分にお金を持ってからやれよというのが正論です。今は人におごる余裕があるわけじゃないので、今年は給料を上げるためにがんばります!今年もどうぞよろしくお願いします。

カツセマサヒコ

カツセ マサヒコ

一発屋芸人になりたくない

2015年は大変お世話になりました。とても楽しい一年を過ごすことができました。

振り返ってみると、去年はなんだか「ツイッターの人」という印象ばかり強くなる1年でした。たしかに24時間中25時間はツイッターしていたので、それも事実と相違ないかもしれません。これだけ濃厚なツイッターライフを過ごすことができたのも、一重に寛大な上司と、超寛大な得意先の皆さまのおかげかと思います。

でもよくよく考えてみると、2015年はツイッターだけでなく、いろいろなことがありました。

書きたかった媒体で執筆ができたり、尊敬する人と仕事ができたり、芸能人取材の機会をいただけたり、個人宛にお仕事をいただけたり、連載を持たせてもらったり、憧れのB&Bに登壇できたりと、ずいぶん濃厚かつ、ぜいたくな一年を過ごすことができました。これは記事を読んでくださった方を含め、関わった全ての皆さまに感謝すべきことだと実感しております。

そんな僕の2015年だったわけですが、夏過ぎぐらいから妙に不安になりました。
「一発屋のお笑い芸人みたく、今年いっぱいで仕事、こなくなっちゃうんじゃないの?」と。
そんな不安を解消するためにも、今年、きちんと地に足をつけて成長したいです。

そこで、今年の抱負は、
「ライターとして、いい仕事をする」です。

まだ業界入って1年半なので、修業の時期です。しかし、一本でも多く、多くの人に認知される記事や、特定の人に刺さる記事をつくりたい。会社宛の仕事も個人宛の仕事も、たくさん企画して、たくさん書いて、たくさん鍛えられたいと思っています。つまり、お仕事たくさんお待ちしております。

よい意味で、大波乱の2016年になればいいなと思っています。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

成瀬瑛理子

成瀬 瑛理子

ゲテモノは食べられませんが

新春のお喜びを申し上げます。昨年はお世話になりまして、大変ありがとうございました。

昨年の4月より編集・ライターとしてプレスラボに入社してから、あっという間に一年が過ぎ去りました。ときには体力的にバテていたこともありましたが、こうして新年を迎えられたのは日ごろの皆さまのお力添えあってのことです。本当にありがとうございます。

口下手なこともあって私はとにかく「文章を書く仕事がしたい」とライターになるのが長年の夢でした。まだ大学生だったころ、とあるライターさんにお会いする機会がありました。私は「どうしたらライターになれるのか」とあれこれ質問した記憶があります。すると唐突に「ゲテモノを食べろ、と言われたら食べられる?」と聞かれ、私は言われた意味を考えているうちに、続けて「君はライターには向いてないよ」とはっきり断言されました。「体を張らなきゃいけない芸人のような仕事だから、君みたいにお嬢様体質の人は絶対にライターにはなれない」。決して自分ではお嬢様気質だと思いませんが、言われたことに衝撃を受け、帰り道に乗るはずの電車を何本か見送ってホームにぼんやりと佇んでいた覚えがあります。

あれから数年。お名前も忘れてしまいましたが、スミマセン。向いていないと言われたはずなのに、ライターになってしまいました。今でもときどきその言葉を思い返しては「ゲテモノが食べられない代わりに何ができるんだろう」と考えることがあります。たしかにそういう体当たりはやはり今もできないかもしれません。やってみて面白くさせる自信もありません。だから今年は、体を張って笑いをとれない代わりに、頭を使って考えて面白いものを生み出せる一年にしたいです。

まだまだ未熟ではありますが、皆さまと一緒によりよいコンテンツを作っていける年にしていければと思います。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

大矢幸世

大矢 幸世

新年の抱負に代えて

子どものころ、父親宛ての年賀状を読むのが好きだった。束になった年賀状に、毎年ひときわ目を引くものがあった。家族の一年の出来事や抱負を、瓦版形式にした「家族新聞」。会ったこともないその家族の日々と成長に、連載としての面白味を感じたのだ。我が家の年賀状は三姉妹の写真を使ったありふれたものだったから、なんだかその一家がうらやましかった。

絵を描くことが好きだった私は、自分で出す年賀状にオリジナリティを求めるようになった。自分をデフォルメしたキャラクターや干支を組みあわせて、プリントごっこすら使わず一枚一枚手書き。年末休みの大半をそれに費やしていた。宿題? 年明けにでもやればいい。

大学に入り、それまで一切手を付けずに貯金していたお年玉をはたいて手に入れたのは、MacのiBook。本当はクラムシェルのカラフルなデザインに憧れていたけど、モデルチェンジを果たしたばかりのそれは、味気ないほど真っ白だった。けれども大学のパソコンルームに並んでいた無骨なWindowsよりはよっぽど洗練されていたし、瑣末な自己顕示欲を満たすには十分だった。

年賀状はMacでデザインするようになった。飽き足らず、大学の企画サークルでフリーペーパーを作るようになった。企画会議に取材執筆、写真と文字をレイアウトして、いっぱしのクリエイターに近づけたような気がした。流れに逆らわなければ望み通りの業界で働けると信じて疑わなかった。が、程なくして自分のぬるさに気づかされるのだった。

新卒で勤めた会社から転職して、めぐりめぐって今、こうして文章を書くことを生業にしている。さまざまなひととの出会いがあったからにせよ、「伝える」ことの原点には、正月のあれこれも影響したように思う。なにか目標や予定を立てることを苦手とする私にとって「新年の抱負」めいたことを掲げるのはおぼつかないのだが、年賀状に熱を上げていたあのころを思い出すことが、ある種の道標になる気がしている。

木村衣里

木村 衣里

「木村でよかった」と思われるために

ふと「いつになったら締め切りに追われなくなるんだろう」、と考えかけてやめました。それは「編集者をやめること」とおんなじだから。

改めまして、あけましておめでとうございます。木村衣里です。

もうすぐプレスラボに入社して3ヵ月が経ちます。一昨年の5月に北海道の函館市から上京し、本当にたまたま、運良く、Web編集者としてのキャリアをスタートすることができました。幸いなことにインターネット業界というのは、わたしみたいな田舎者も「いいよ、いいよ」と招き入れてくれる大変に懐の深い業界です。その分ふるいの目は大きいので、落とされないよう必死にならなければいけないのですが。

そんなインターネットの世界に足を踏み入れて1年半が経ちました。昨年は仕事納めと仕事始めの境目がほぼなく、その年の出来事を振り返り「よくがんばったね」と自分を褒めることも、「あそこはもう少しこうできたんじゃないか」と反省することもできなかった記憶があります。

いまは実力ある諸先輩方のおかげで、以前よりも自分の記事をもっと多くの人に読んでもらいたいと思うようになりました。書くことが好きで、文章が好きで始めたはずなのに、いつの間にか自分の記事が人の目に触れることが怖くなっていました。

そのことに気づけたのも、少しだけ自分の記事に自信がもてるようになったのも、いまの環境のおかげです。

2016年は、そんな諸先輩方に「木村と一緒に働けてよかった」と、クライアントやパートナーの企業さんには「木村にお願いしてよかった」と、ライターさんには「木村が担当でよかった」と、思ってもらえるようわたしにできることを全力でやっていきたいと思っています。

まだまだ未熟で至らぬ点の多いわたしですが、今年も、来年も、そのまた先もインターネットにふるい落とされないよう、精進してまいりたいと思っております。

今年もプレスラボをどうぞよろしくお願いいたします。

今年もよろしくお願いします