みなさま、あけましておめでとうございます
今年も、新年のご挨拶に代えまして、各メンバーそれぞれが同じテーマでコラムを書きました
今年のテーマは「私と下北沢」
プレスラボがある下北沢は、再開発によって日々変わりつつあります
そして変わる部分もあれば変わらない部分も
街の変化を眺めながら、自分たちと下北沢について考えてみました
今年もよろしくお願いいたします
プレスラボは2018年3月に10周年を迎えます。十進法を発明したのは誰だか僕はわかりませんが、とりあえず10は一つの区切りです。続いてよかった。みなさんのおかげです。ありがとうございます。
4月からサバティカル休暇というものをもらい、夏以降は一度もオフィスを訪れていません。だから今回のテーマが「下北沢」に決まった経緯も知らない。いったん「“街は人”ということを教えてくれたのは下北沢です(>_<)」みたいなほっこり原稿を800文字でまとめてみたものの、シャワーを浴びているうちに気が変わってしまったので言いたい。
私はプレスラボに入社するために大阪から上京しました。後にも先にも、そんな人は私だけだったそうです。住んだ場所は下北沢でした。お金が貯まったら三茶とか上原に住んだりするのかななんて思うこともあったけど、結局、私は結婚するまでの3年半を下北沢で過ごしました。上京したころはまだ開かずの踏切があって、小田急も地上を走っていて、再開発という言葉が聞こえるけど「ほんとにするの?」みたいな雰囲気でした。
昨年4月にプレスラボから独立した。独立したけれど週1回の会議には参加しているし、それ以外の日もちょくちょくデスクを借りているから独立した実感があまり沸かない。私以上にその実感を得られていないのが、プレスラボの先輩・後輩たちと社長の梅田カズヒコだと思う。一度死んだキャラが当然のように復活した挙げ句、主人公たちにのうのうと説教を垂れているような役柄である私だから、まあウザいことこの上ないはずだ。「お前辞めたんじゃなかったのか」と日々冷ややかな視線が注がれているので、今年はもうちょっと影を潜める努力をしたい。
「第一印象のイメージが変わるまでには時間がかかる」というのは、人に限った話ではないような気がします。私が下北沢というまちに初めて来たのは高校生のとき。「好きなアイドルが下北で時々飲んでいるらしいから、私も下北に行ってみたい」、とよくわからない理由で友達に誘われたのがきっかけでした。
屋根裏やQueに行ったことはない。本多劇場にもスズナリにも。開かずの踏切がなくなった頃、私は北陸で遠い春を待ちわびていた。帰宅後、なにげなくタイムラインを遡ると、向井秀徳が南口のシャッター前で、ゲリラライブを行っているという。繰り返される諸行無常。テレビ東京の連続ドラマでは、見慣れた景色を背景に柄本明が自転車を漕いでいた。流れるのは、雨のパレードの『Shoes』。毎週、radikoで聴いているラジオ番組。岡村靖幸とBase Ball Bear小出祐介が、トリプルファイヤー吉田靖直と「今度、下北の王将で飲みましょう」と約束していた。もうすぐ公開される映画『リバーズ・エッジ』の主題歌を小沢健二が書き下ろしたという。その曲には珉亭とシェルターが歌われている。
2018年、わたしに訪れる最初のイベントは、どうやら「引っ越し」になりそうだ。上京して最初に住んだ街は高円寺だった。理由は単純で、それ以外の街を知らなかったから。編集者になるために上京した私は、当時勤めていた会社の近くに家を借りた。築25年、6畳一間の古びたアパートだけど、駅徒歩5分、会社までは3分で行けてしまう職住近接物件だった。
シモキタに来ると、都会の人間になったような気がしていた。高校を卒業するまで千葉の地元をほとんど出たことがなかった私は、都内の大学に通うことになって、ほとんど初めて、東京と呼べる場所で過ごすことになった。田舎からの通いではあったけど。
まさか、自分がここで仕事をするようになるなんて、思いもよらなかった。ホントに。えっ、あの幸世がmatsuoと出会ったヴィレッジヴァンガードがある?(出典:モテキ)
むかし、カウンセラーの先生に「人間の生き方は『向かう』か『離れるか』だけ」なんだと教えてもらった。それは物理的な距離だけではなく、興味や関心という意味でも人間は「向かう」と「離れる」を繰り返して生きていくということなのだそうだ。そう考えたとき、僕は下北沢という街に対して、向かったり離れたりを繰り返していると思った。