プレスラボ

2020
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檜垣 優香

檜垣 優香

2010年からここまでの10年間は、これまでの人生の中で最も、環境が変わる期間だった。というのも、2010年当時私は高校生、その後は大学生、就職、独立、フリーランス期間を経て2度目の就職。置かれている立場も付き合う人も目まぐるしく変わっていった。その中で、自分にとって最も大きな変化だったのは、実家からの独立だった。2019年の秋のことである。

東京に生まれると、なかなか実家を出るタイミングがない。昔から母親の顔色を伺ってきた私にとって、正解とは、いつだって母親が選ぶほうの選択肢。それは指針であり、呪いでもあった。

何についても私に指針と呪いをもたらしてくれていた母。彼女が唯一明言しなかったのが、実家を出るタイミングである。2社目、つまりプレスラボに就職して1年が経った頃、どうしても母親と意見が折り合わないことがあった。それは、私の将来に関すること。今まではどちらかが妥協してうまくやってきたが、こればかりはどちらも妥協できなかった。程度問題でも、時間が解決してくれる問題でもなさそうだった。

家を出るなら今だ、と思った。私にとって生まれて初めての明確な反抗であり、この時荒げた声は、今思えば2度目の産声だった。生まれた時が体の誕生とするなら、これは自己意識の誕生だ。

そんなこんなで、半ば飛び出すようにスタートした一人暮らし。エリアも、部屋も、家具も、全部私が決めた。実家の自分の部屋とは、全く違うテイストの空間に仕上がったのが皮肉なものである。

ただ、勢いのまま喧嘩別れをするには、25年を生きた私とその倍以上を生きた母親は、いささか冷静過ぎた。離れることに対して、互いに納得感もあった。つまり、その後の親子関係はひとまず良好である。

……親がどんなに「早く寝なさい」「宿題は計画的に進めなさい」「きちんと湯船に浸かりなさい」と口酸っぱく育てても、大人になると、徹夜はするし仕事は締め切りギリギリまで引っ張るし入浴はシャワーで済ませてばかりだ。子育てとは、なんと虚しく、報われないものだろう。子のためとあれこれ口を出すのが、あろうことか呪いだなんだと書かれてしまうわけである。

最近はこんなことばかり考えている。結局家を離れても、私の意識は母親へと向いているのだ。本当の意味での独立は、次の10年への宿題としたい。計画的に進められる自信はないが。

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撮影協力:齋藤 大輔
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